「コーヒー」 近頃のマスターは 以前の穏やかなマスターに戻ったようだ。 まるで憑物が落ちたよう。 何があったのかは いまさら聞くまい。 今日も二人で黒曜石の家を訪れて楽しい時間を過ごしてきた。 二人で歩く夕暮れの家路が嬉しい。子供のようにしりとり遊びをしながら歩く。  「比翼連理」 数日前にアメジストが折れた。 視線を伏せた数秒間で何を思ったのだろうか。 『姉を頼む』 その一言を残し、自室へと下がっていった。 月長石に背中に手形が残るくらい叩かれるまで僕も呆けていたようだ。 屋敷を出る際に見送りに来た月長石が伝えてくれた一言。 『姉を哀しませたら命が無いものと思え。 私はいつでも見つめている』 いったい、どこまでが本気なのやら……。 胸のつかえが取れてからは ペリドットと過ごす時間を増やしてみた。 以前よりも多めに。 やはり寂しかったのだろうか、前にも増して彼女が甘えてくるようになった。 妹たちの前では姉の顔をしていたのに、二人きりになると子供の頃のように戯れあうのだ。  「りょうり」  「りょうばのこぎり」  「リップクリーム」 『り』を避けたね。 さて、いい頃合かな。 どうやって切り出そうか。 歩きながら、遊びながら、彼女の顔を見つめてタイミングをはかる。  「拈華微笑」  「雲中白鶴」 四字熟語は苦手だ……。 さてさて。  「くま」  「まちぼうけ」  「け……け……」  「降参ですか?」 不敵な笑顔。 彼女の笑顔を独り占めにすることは出来ないだろうけど、彼女が誰にも見せたことのない顔を僕は独占できる。 彼女の全てが愛しい。 いままでの僕と彼女の関係のままでも善いのかもしれない。 ヒトと宝石乙女の関係は 幸福だけをもたらすわけではない。 けれども僕は もっと深い結びつきを求めた。  「結婚しよう」 彼女の足が止まった。 僕を見上げ、不思議なものを見るような表情の彼女。  「ま、ますたー?」  「結婚しよう。 その言葉がどんな意味を持つか理解はしているつもりさ。   過去、何があったのかも だいたいは聞いた。   それでも僕は君と一緒に人生を全うしたい。   僕が感じている幸せを 君にも一緒に感じて欲しいのさ」 数秒の沈黙。 戸惑い。 畏れ。 どんな返事が返ってくるかと思ったけど、やはり彼女は最高の笑顔で応えてくれた。  「はい、マスター。 ではないですね……『うん』」 しりとりは彼女の負け。 でも、僕と彼女は幸せだった。 きつくきつく彼女を抱き締めて、紫色の空に包まれながら僕たちはキスをした。 昇り始めた月が祝福してくれたようだった。